【本】 『「えびす」 猫の抜け道』 (PH STUDIO)

「えびす」とは古い街が再開発される際に現れる猫(空間)の総称である。PHスタジオというのは美術家と写真家と建築家からなるユニットらしい。そのPHスタジオというところが出しているフォトブック。
基本的に猫であるから姿、形はない。
新しいものと古いものの間に鋭く貫入したかと思うと、ここあそこの屋根の上で眠っていたりする。
内部と外部を自由に行き来し、あらゆる次元を飛び越えて、時空を移動する。
狸のようでもあり、実際の猫のようでもあり、家や船のようでもあるが、決して具体的な形はとらない。現れては消え、空虚を好み、屋根を走り、断面を行く。
ときおり抽象的(猫と抽はなんだかにてるな)な思考を行い、哲学的に振る舞うこともあるが、そう見られることも決して好まない。
「えびす」は具体的な形と抽象的な思考(空間)の間を行き来する。
恵比寿といえば何となく都会の「オシャレ」的なものの先端というイメージがあり、ブランドなのだろうと思うが、三丁目の夕日のような昔ながらの住宅街も存在している(た?)らしく、そういう古い場を中心に撮影されている。古い民家と近くの高層ビルのコントラストからは何ともいえない禍々しさを感じるが、それは古い民家側に寄っているからであって、高層ビル側の人達から見れば、古い街並みの方が忌々しいのかもしれない。次々に人が流入してくる場で昔からの自分の居場所という効率の悪い場を守り続ける人は、その見た目の小汚さと共に、東京のスペースの価格を押し上げている一因の嫌な奴らと見られているかもしれない。僕なんかは東京なんて住みたいとは思わないが、あそこに希望を見出している人が山ほどいるというのだから、どんどん再開発してもらって少しでも多くの人が効率的に居住できるスペースにしてもらわないとどうしようもないのかもしれない。
しかし、たとえ「希望」に溢れていたとしても僕は東京のような都市的効率化の進む場には住みたくない。効率化よって一人でも多くの人が「希望」の地に漕ぎ着け、居住できるのであればそれはそれで結構だと思うけれども、僕はそういう効率化の中で見えない空気によって排他される側であるのは間違いない。宮台真司風にいえば、都市型保守ということになるのか、そういう決然とした強い効率化の空気の中で自分における人間らしさを捨てられないわな。ただ、これは僕自身が「東京外」にいるから言えるんであって、東京にいたら、やはり効率化を止める声は出せないと思う。そこ(東京)にしか希望・チャンスが見出せないから何としてもそこに住みたいという人は日照とか密度とか空気とか少し無理してでも住まわせてあげたいと思うものね。
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