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【映画】 『ロジャー&ミー』

ロジャー&ミー ロジャー&ミー
マイケル・ムーア (2006/10/06)
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世界一の自動車会社GMの会長(ロジャー) に直撃取材! マイケル・ムーアが故郷ミシガン州フリントの危機を受けて取材したドキュメンタリー。独特のユーモアと、鋭い切り口で企業の実態を描き、まさに『ボーリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』など問題作を世に送り出してきたムーアの原点ともいえる作品。

マイケル・ムーアの生まれ故郷、ミシガン州フリント。会長ロジャー・スミスの合理化政策により世界最大手の自動車メーカー、ゼネラル・モータース(GM)が次々と工場を閉鎖していた。工場町として栄えたこの町では、これをうけて人口15万人のうち実に3万人が失業。ムーアはこの危機的状況を会長に見せようとするが…。
 マイケル・ムーアの映画監督デビュー作である『ロジャー&ミー』を観た。1989年の作品だそうだが、作りは『華氏911』とそっくりのドキュメンタリーであり、マイケル・ムーア自身の紹介から展開されていく本作は、映画監督マイケル・ムーアのまさに原点として堪能できる作品である。

 マイケル・ムーアの生まれ故郷であるミシガン州フリントにある自動車メーカーGMの工場が会長ロジャー・スミスの合理化策によって閉鎖される。職員も解雇され、人口15万人のうち3万人がGMの職員だった街が荒廃の途を辿る。それまで工場に勤めていた中流階級の人達が貧困層に転落し苦しい生活を余儀なくされている現状、同じアメリカ人、それまでGMの工場で働いてくれていたフリントの人達が貧困に喘いでいる現状を、僅かの富裕層は理解できず、「本人の努力が足らない、企業は利潤を追求するものであって、街を誇るためにやっているわけではない」、ということで済まし、むしろ、自国の工場を閉鎖し、賃金の安いメキシコに工場を開設するというロジャー・スミスの経営を「18世紀にイギリスで起こった産業革命に匹敵する芸術ともいえる」とまでコメントする。

 そこでムーアは荒廃した街の現状を見てもらおうとロジャー・スミスにアポなし取材を試みる。が、そこらへんはあんまりうまくいってない。もっとも、幾度にも渡るチャレンジとその失敗があったからこその映像が本作にはあるので結果的には成功したといえるのかもしれないが。

 本作で取り上げられている問題は改革の嵐が吹き荒れる現代日本にも通ずるものがある。人件費の安い中国などへ工場が移転し、国内の製造業は空洞化し、経営の合理化による皺寄せが下の人間に来て、それまでの中流的な所から「下流」に転落、国内雇用も正規雇用ではなく非正規雇用である派遣・請負が増え、安定した生活が送れない人が増大しているという所謂「格差社会」の問題である。ちなみに本作では解決方法を見出すことが出来ていない。本作でいえば、労働者が厳しい生活を強いられているという事も事実であるならば、解雇された労働者達が、例えば、動きが激しくて大変な柔軟さが求められるファーストフード業界に再就職してほとんど勤まらなかったという「他所で簡単に代替でき、融通のきかない質の低い労働力」であることもまた事実であるのだろう。

 解決法としては、結局、ここに「人間らしさ」「同じ国民」「街の人達」といった極めて抽象的な言葉でもって、パトリのあるナショナリズムでも愛国心でも愛郷心でも、それらに共通する精神性でもって訴えていくしかないのだろうか。現在の日本でいえば「逆行」「古い自民党」「社会主義」と云うレッテルになるのだろうが、やはりそれしかないのだろうか。僕の中にはそれらの言葉に強いシンパシーが存在し、選挙における投票行動では、それによって行動を決めているわけだが、どうにも自分の中で煮え切らないのは、まず、自分が経営者でないこと、経営者ではない労働者層にいるものとして経営者に愛国心的なものを強く求めたとして、では、逆に今の日本の労働者、多くの国民が愛国心的な、それこそ企業を規制してしまう程の精神的なものの力によって、自分達もまた規制されることを受け入れられるのか、というと恐らくそうではない、現在の日本国民の世論は恐らくその体制を望んではいないだろうからだ。

 構造改革の嵐の反対方向で格差社会批判の嵐が吹き荒れているわけだが、この批判の現実性として、富裕層の所得を低所得層に分配するという考えであるが、その分配を何の対価も支払わずに当然の事として受け取ろうとしている。グローバル社会における経営の合理化は良くも悪くも我々一人一人の労働力に対して日本人であるというアドバンテージを依然として認めながらも、非常に冷静な価格がつけられることになった。この合理性に対して精神的なもので説得をはかるにしても、逆に我々のもとに同じように精神的なものが及んできた時に受け入れられるのか。格差社会というのは構造改革路線である限り、当然につきまとう程度の問題であり、格差社会であるからこそ構造改革が進んでいるともいえるわけで、例えばグリーンスパンの云う通りに日本が引き続き豊かな社会でいられ続けるとして、ひとまず我々はこの路線に乗る、というのが安倍晋三が降りたといっても今の国民の世論なんじゃないのか。やっぱり「自由」がいい。過酷でも「自由」がいい、と。それに、日本人は余暇の過ごし方が下手と云われて来た(らしい)が、ネットにおいての活動はかなり活発なようで、狭い国土では持て余していた「自由」も、ネットという無限の大海においては案外と謳歌できているのかもしれないしね。
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 息子の将来の道標?に。13歳ではありませんが大人が読んでも為になる本だと思います。実用品・普段使い   興味があったので・・・ 我が子へ早く到着して、助かりました!ありがとうございました。興味深い内容でした。いま13歳の息子が読んで
2007/09/19(水) 18:52:52 | 社会のレビュー