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【信On】 エピソード10 知行拝領

信Onの日々は何しているかというと、狩りで寄生、合戦でも防衛している振りをしつつもその実どこかでN釣って救援出す人がいないか探して、救援出す人あればインして寄生、楮断片を集める日々です。はあ、いつも開幕完全から入ってピリピリ痺れる薬師ってどうなんですか? レベル40になっても楮断片集めているのってどうなんですか?
ま、それはともかく、合戦でマゲ狩ったりN狩ったり、ちょっと内政クエをこなしたりして与力になることができました。所属武将は水原親憲。左翼中備えの副将。与力の中では当たり武将なのかな。どっちみち走れないことには変わりなさそうだけど。
水原 親憲(すいばら ちかのり、天文15年(1546年) − 元和2年5月13日(1616年6月26日))は、上杉氏の家臣。
大関親信の息子で、最初は大関姓を称していた。早くから上杉謙信に仕えて、1561年の川中島の戦いで武功を挙げたことを謙信より賞賛されて、新発田重家の乱において新発田軍に当主である満家が討たれて断絶した越後国北蒲原郡水原を本拠とする名族・水原氏の家系を継ぐことを許され、3414石の知行と149人の部下を与えられた。後に常陸介を称す。
謙信の死後は上杉景勝に仕える。1598年、景勝が会津に移ると、1500石の知行を与えられて猪苗代城城代に任じられた。1600年の関ヶ原の役では、最上攻め(長谷堂城の戦い)に参陣した。その撤退戦では追撃する最上勢に突撃する前田利益らに呼応し、鉄砲200丁で支援射撃を行い、上杉軍の撤退を成功させた。
1614年の大坂冬の陣では徳川方として参戦し、豊臣軍を大いに打ち破るという武功を挙げた。そのため、将軍の徳川秀忠から感状を受けたが、「子供の石合戦ごときのような戦で、感状を賜ることになるとは」と、逆に悔しがったと言われている。恐らくは、かつて敵であった徳川方に、今はやむなく従っているのを悔しがったのだろう。なお、この感謝状には間違って宛名が『杉原常陸』となっていた為、その後は杉原姓に改めている。
1616年、71歳で死去した。

与力になったということでとうとう知行が貰えることになる。どの地形を貰うか少し迷うが、上杉謙信といえばやはり「敵に塩を送る」でしょう。ということで、ここは塩がとれる漁場がメインの水辺に決定。
内陸国である甲斐の武田信玄と日本海に面した越後の上杉謙信は当時交戦中であった。その最中、当時甲斐に塩を供給していた駿河の今川氏は武田氏と反目し始め、甲斐への塩の輸出を絶ってしまう。それを知った謙信は、永禄11年1月11日(1568年2月8日)に、越後の塩を送ったとされている(ただし、これはただ単に武田との物資のやり取りの禁止をしなかっただけとも言われている)。敵対国であるにも拘らず、塩を送った謙信の行為は高く評価され後世に伝わる。ここから「敵に塩を送る」(敵対する相手に援助を差し伸べること)という言葉が生まれた。松本市の本町にはその時塩を積んだ牛をつないだという「牛つなぎ石」が残っている。

というわけで知行水辺レベル1スタートです。ここから長いんです。つうか、この状況を考えると最低でも次の拡張パックまでは自分の事で精一杯で、とてもじゃないが合戦とかそういうことまで気を回してられませんな。
- 10/23/22:39
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