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【映画】 『佐賀のがばいばあちゃん』

佐賀のがばいばあちゃん 佐賀のがばいばあちゃん
吉行和子、浅田美代子 他 (2006/11/21)
東映ビデオ
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漫才コンビ・B&Bの島田洋七が祖母の家に預けられた少年時代の経験を元に書き下ろした小説を映画化。高度経済成長が始まろうとする昭和30年代、極貧生活にあっても持ち前の人生哲学で明るく気丈に生きたがばいばあちゃんの思い出を綴る。
 最近の読売の旗振りには全く以て呆れてしまいます。今週『佐賀のがばいばあちゃん』で先週は『ジョンQ』、そして来週はトータルフィアーズ(テロ系)の予定ですから、こういったエンターテイメントのチョイスにすら何かイデオロギーというか執念を感じてしまうわけです。

『佐賀のがばいばあちゃん』は漫才師・島田洋七の自伝的ベストセラー小説を映画化したもので、昭和30年代、母親の都合で広島から佐賀の祖母に預けられた主人公の少年が祖母と一緒に貧しくも明るい生活をしていくという話だ。「がばい」というのは佐賀地方の放言で「すごい」という意味らしい。

 テイストとしては『三丁目の夕日』に代表されるような古き良きという味わいが醸されている。ただ、三丁目はそれでも家族・人情といったものに対してアンチ的な存在がいて善悪二元論的に対立構造が浮かび上がり、世の中を悪くするのはこういう人達だと叩けて溜飲が下げられたけれども、本作にはそれがない。みんながみんないい人過ぎるのだ。あまりにも貧しい中での祖母と二人暮しをする主人公の少年にみんながみんな道徳の教科書に出てきそうなほどに思いやりを持った温かい態度で接してくれるのだ。それならそれで結構なことじゃないと思われるかもしれないが、それなら主人公はどうしてああいう境遇なのだ、貧しさの中でいつも母親を乞い願う寂しさ・辛酸を舐め続けなければならないのだということになる。つまり、本当の意味で作品ワールドワイドでみんながみんないい人だったら、主人公のような境遇はありえないとはいわないが、ドラマになってなかったわけで、何故ドラマになったかというと佐賀と対比される広島という近代的都市のメタファーによる不幸が見えないところで描かれているわけだ。つまり、少年はいつも母親のいる広島の方に向かって「母ちゃん」と叫び、広島に希望を抱くわけだが、実はその広島こそが少年の寂しさの元凶である、と、それは本作における登場人物が良い人であれば良い人である程、そして本作がノスタルジックであればある程に皮肉的に痛感させられるのだ(もっとも、じゃあ母子で田舎に戻って食っていけたかというとそれも難しいところであるのが現実なのだろうが)。僕も母子家庭だから、周りからの特別扱いというのはあった。その行為は基本的には嬉しいものであるが、同時に、自分の境遇の不条理さを再認識し、いたたまれなくなってくるのだ。

 がばいばあちゃんを演じた吉行和子はハマリ役だったのではないかと思う。気丈で厳しくも、冷酷ではなく、人情味を忘れない、そして貧しい家にありがちな知性のばあちゃんという役を見事に演じきっていた。
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