【映画】 『変態村』
![]() | 変態村 (2006/10/04) ローラン・リュカ、ジャッキー・ベロワイエ 他 商品詳細を見る |
ベルギーの老人ホームでクリスマスの慰問ライブを終えたマルクは、次の訪問先への道に迷った上バンを故障させてしまい、雨の降る夜の森に立ち往生してしまう。そして、近くの小さな村のはずれの元ペンションに住むバルテルに出会い、宿を借りる。元コメディアンの彼は同じ芸人であるマルクに好意を示し、車の修理も請け負うが、妻のグロリアを失くした彼はすでに狂気を抱いていた。彼は言う。「決して他の村人に姿を見せるな」……。これはすげえ、変態村だあ。おらの住んでいる集落だってこんなことない。ウィキペディアいうところには変態というか狂気という方がふさわしいらしいが、そんなの関係ねえ。おっぱっぴー。ベルギー監督が撮影したフランス・ベルギー・ルクセンブルクの映画。
翌朝、マルクはバルテルが車の中を荒らし、あまつさえバンを破壊しているところを目撃する。彼はマルクを拘束し、女装させてレイプし、「妻の不貞」を責めて折檻し、クリスマスに歌うことを要求した。バルテルがクリスマスツリーを採りに行った隙に逃げ出したマルクは熊用の罠にかかってしまう。森の中で見た飼い犬を探す男ボリスに助けを乞うが、ボリスは話を聞かずマルクを自分の犬として扱い、ひとしきり撫でた後、バルテルに引き渡す。
バルテルの狂気は加速していく。マルクを納屋に磔にし、村の酒場へ現れて「村の男全員と姦通した」「彼の妻」が戻ってきたと豪語する。ロベール・オルトンをはじめとする村人はめったに村へ来ないはずのバルテルの異常に凍り付くが、バルテルが去ると古いピアノを鳴らし、奇怪なポルカを踊り出す。
クリスマスの夜、ディナーと椅子に縛りつけたマルクを前にしたバルテルは、意識の混濁しているマルクを他所に満足げに愛を語る。そこへ子牛を愛犬として連れたボリスが現れ、さらに村人達が銃を持って「彼の妻を、正当な権利を持つ自分達のものにするため」乗り込み、バルテルを痛めつけ、マルクを輪姦する。
混乱の中マルクはペンションを脱出し、追ってくる村人から荒野を逃げ続ける。墓地を抜け、底なし沼を通り抜けると最後まで追いすがっていた村人が足を踏み外し沼に飲まれる。苦しむ村人は「バルテルの妻」が自分の元へ戻ってくるのを見る。「彼女」は死の淵に立つ村人に、愛していると告げた。
(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/変態村)
ある一人の男・マルクが道に迷った上に車を故障させてしまうことにより立ち寄る羽目になる村はずれの元ペンションでバルテルという老人に出会うことにより悲劇が始まる。その村は狂った人間だらけでそれが獣姦というシチュエーションで表現される。バルテルも実は既に狂っていたという設定で、マルクはバルテルに拘束され、バルテルが失くしたかつての妻として女装させられ、レイプされてしまう。やがて、村人がバルテルの妻(マルク)を自分達に正当な権利があるとして、バルテルを痛めつけた上でマルクを輪姦する。混乱の中、辛くも逃げ出すことに成功するマルクだったが、最後まで自分を追いすがる村人の一人が底なし沼に飲まれる。村人は沼に飲まれながら、マルクに愛を乞う。マルクは死の淵の村人に愛していると告げる。
本作はあまりにも、少なくとも僕のような平凡な日本人にとっては、奇妙な設定で突飛なプロットであったが、とりあえず何とか自分のアンテナが受け取った限りでは、愛の無いことの狂気と、愛することの狂気と、愛を受け入れることの狂気、だった。村人はひたすらに愛する相手を探し、それを失くすと狂う。愛する犬を失くして狂う男のように、愛する妻を失くして狂う男のように。そして、また、愛することで彼らは狂う。暴行、強姦、輪姦、愛される側の受難。そして、その不条理さをあえて受け入れる犠牲者の必要性とその悲劇(というか喜劇的か)を描くこの映画のトチ狂い方は、単なる変態村というギャグコメディではなくて、実は比喩的に世に中のある部分、もしかしたら普遍的かもしれない部分を切り取っている。ように見えた。フェミニズム的だったり、ドメスティック的閉鎖的な逃げ場の無い場における暴力の問題のようなものも描かれているのかな。噛むほどに味がでる作品といえるかもしれない。
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