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【本】 『殺戮にいたる病』 (我孫子武丸)

殺戮にいたる病 殺戮にいたる病
我孫子 武丸 (1996/11)
講談社
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『メビウスの殺人』を執筆中にプロットを思いついたというこの作品、読み進めると確かに『メビウス』の香りがする。もっとも、我孫子武丸(のみならずミステリー全般)の作品に詳しくないので、我孫子武丸がこういう手法の作品をよく書くのか、それともこういう小説が90年代はよく流行ったのか、わからない。

 本作も『メビウスの殺人』同様、冒頭で犯人が分かる。また、複数人の視点、元刑事の樋口、犯人の蒲生稔、そして犯人とは○○な関係の蒲生雅子の三人のパートで構成されている。

 永遠の愛・真実の愛を見つけるとういう動機で連続殺人に至る犯人は、殺した女性と何度も屍姦を繰り返し、乳房や女性器を切り取って自宅でまた性交を繰り返しオーガズムに達する性的倒錯者となっている。

 グロテスクな表現が目立つが、amazonのレビューなどを見ると、それではなくて、結構な数の読者がオチの方に惹かれたらしく、そのオチの素晴らしさがこの『殺戮にいたる病』を我孫子武丸の最高傑作との評価たらしめている、らしい。

 僕はオチにはがっかりした。がっかりした、という表現は適当でないかもしれないが、やはり無理があったのではないか、と思ってしまうのだ。確かに、蒲生稔そして蒲生雅子の二人のパートの情報と想念が錯綜した文脈・行間をよく読んで、想像を広げれば、このオチに落ち着くこともできるかもしれないが……、まあ、それまで読者側に思い込ませていた人間関係を最後の最後にあっけなく覆すという、叙述トリックというらしいのだが、それにあまり僕の嗜好が合わないという事なのだろう。読み終わって事実が明らかになった後でも感覚としての不自然さ、後味の悪さが残る。

 しかし、小説、物語としてはなかなかに楽しめた。樋口・蒲生稔・蒲生雅子、三様の視点で時間軸を巧みに利用して描いてあると思う。

『メビウスの殺人』は主人公がゲーム感覚で殺人を行っていくことが主張されていたが、本作では家族の絆が弱いもしくは家庭環境が良好でないことが精神に異常をもたらすと主張されている。とかく、昨今イデオロギッシュに語られる「ゲーム感覚」であり「家庭環境」だが、『メビウス』ではゲーム感覚なんてとんでもない! 本作では平穏を保つために家族の絆・愛情は大切なのだ! ということが読み取れるので、そういうのに反発するイデオロギーを持っている方は読まないほうが良いかもしれない。
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