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【本】 『昭和史を読む50のポイント』 (保阪正康)

昭和史を読む50のポイント 昭和史を読む50のポイント
保阪 正康 (1988/01)
PHP研究所
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 昭和史を読む50のポイントとは

■昭和前期
1.昭和史の時代区分<昭和史には三つの節がある>
2.大正から昭和へ<改元時の日本の姿はどのようなものだったか>
3.金融恐慌<当時の日本経済はなぜ崩れたのか>
4.満州某重大事件・満州事変・満州国<関東軍はなぜ独断専行しえたのか>
5.五・一五事件<その時、犬養は何を話すつもりだったのか>
6.政党政治の終焉<明治以来の歴史を有する政党政治はなぜ脆くもつぶれたのか>
7.日本陸軍という組織<この組織はどのような原理で動いていたのか>
8.二・二六事件と軍部独裁<”健軍以来の不祥事”はその後に何を残したのか>
9.新体制運動と近衛文麿<”近衛の目論見”はなぜ失敗したか>
10.天皇機関説と学問の自由<なぜ当時の知識人たちは口をつぐんだのか>
11.社会主義運動の崩壊<当時の共産党とは何だったのだろうか>
12.日独防共協定・日独伊三国軍事同盟<なぜ日本はドイツを盲信したのか>
13.東條英機という軍人<陸軍の典型的軍人とはどんな人間だったか>
14.日米交渉に見る歴史の皮肉<日米両国は互いに何を望んでいたのか>
15.真珠湾という歴史的空間<なぜ第二次攻撃は行われなかったのか>
16.ミッドウェー海戦の敗北<何が”海軍の誤断”を生んだのか>
17.絶対国防圏という戦略<防衛態勢はなぜもろくも崩壊したか>
18.本土決戦論と日本の戦力<肉弾戦をも強制した軍部の”根拠”とは>
19.原爆投下とソ連参戦<日本降伏の直接的な引き金は何か>
20.天皇と決断<敗戦目前の三カ月間、天皇は何を考えたのか>

■占領期
21.GHQ最高司令官マッカーサー<彼は日本をどんな国歌にしようとしたか>
22.戦後教育改革<アメリカが導入した民主主義理念とは何か>
23.極東国際軍事裁判(東京裁判)<この裁判は日本人の精神にどんな影響を与えたか>
24.終戦直後の社会党、共産党<戦後、左翼運動が再び挫折したのはなぜか>
25.終戦直後の首相たち<日本の指導者はどう変わったか>
26.社会党政権の挫折<革新政党内閣はなぜ日本に育たないのか>
27.天皇巡幸の意味<なぜ天皇制は廃止されなかったのか>
28.レッドパージと共産党<GHQと共産党の戦いはどのようなものだったか>
29.サンフランシスコ講和会議<吉田首相はなぜ単独講和の道を選んだのか>
30.敗戦直後の日本<焼け野原の下での生活とはどんなものだったか>

■昭和後期
31.十年目の経済白書<名言「もはや戦後ではない」の意味とは何か>
32.六〇年安保と岸内閣<戦後最大のフィーバーとは何だったのか>
33.池田内閣の経済政策<日本が高度経済成長を達成できたのはなぜか>
34.原水爆反対運動の分裂<原水協の真の目的は何だったのか>
35.大学の大衆化<大学から「研究」が消えたのはなぜか>
36.戦後の若者風俗<何が若者たちを変えたのか>
37.東京オリンピックとナショナリズム<”スポーツの祭典”に日本人が酔ったのはなぜか>
38.高度成長の光と影<公害と国家依存の体質はどう生まれたか>
39.ベトナム戦争と日本人<この戦争の本質とは何であったのか>
40.全共闘運動の爆発<壮大な風俗運動はなぜ起こったか>
41.東芝三億円事件と犯罪の多様化<”劇場犯罪”が生まれた背景とは>
42.三島由紀夫と自決<なぜ割腹自殺をしたのか>
43.田中角栄と列島改造論<彼はなぜ総選挙で敗北したか>
44.石油ショックの意味<高度成長時代はどう転換したか>
45.日中国交回復と両国の歴史感覚<日中関係をどう読むか>
46.ロッキード事件の背景<元首相が逮捕されたのはなぜか>
47.自民党政権の読み方<自民党はなぜ日本の縮図たりえるか>
48.情報化社会の進展と日本社会の未来像<旧世代はハイテク管理社会に生き残れるか>
49.昭和が生んだ”新人類”<昭和という時代の奥深さはどこから来るか>
50.日米経済摩擦<ジャパン・バッシングはなぜおこったか>

 だそうだ。中学生の頃読んだ古い本だが、ポイントが簡単にまとめてあり読みやすく、面白い。教科書なんかよりずっと面白い本だったと記憶している。
 アメリカは真珠湾で日本軍に叩かれてからは、どの時期にどこに侵攻し、どの兵団を動かすか、そのためには兵站はどうするか、すべてを克明につくりあげていた。
 戦場に送られる兵士には、その戦場はどういう地か、言語は何か、食料はどうなっているか、地理はどうなっているか、そして何より肝心なその島に行ってなぜ戦うかまで教えられていた。
 日本軍のようにどこに連れられてきているのか、この島は何という島か、なぜ戦うか、などまったく知らされてなく、ひたすら玉砕戦法を強いられていたのとはことごとく違っていたのである。
 昭和二十年の六月、七月には、大本営は軍事的には手を打てないでいた。沖縄戦で致命的な打撃を受け、もうアメリカがどうでてくるか、それを傍観視するような状態であった。そして国内ではひたすら「聖戦完遂」を叫ぶだけだった。
 軍事は政治の延長のはずだった。しかし、日本は政治はつねに軍事に従属し、ひっぱり回され、そして押しつぶされた。軍事だけが暴走すれば、それは究極には”美学”として昇華していくというケースはとくに大日本帝国には顕著であった。
 ドイツもイタリアも、軍事的敗北をすぐに政治的収集で立て直す余裕をもっていたが、日本はそれだけのゆとりがないほど崩れていったのである。だからこそ、国民は驚くほど従順に占領政策になじんでいったといえるのだ。
 のだ?
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