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【本】 『だいじょうぶマイ・フレンド』 (村上龍)

だいじょうぶマイ・フレンド だいじょうぶマイ・フレンド
村上 龍 (1985/10)
集英社
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「夢を見てました、ドクターと知り合う前の夢です」
「そうか」
「女を、女を裸にしている夢だった」
「眠った方がいいぞ」
「Tリングを入れてから、俺は少し涙もろくなったね、おかしいな、今、俺は俺が殺した女のために泣きたいんだ、おかしいですか?」
「おかしくはないさ、涙もろくなるのは自然だ、心が平安になっているからね、Tリングを入れたら豚だって牛だって、餌を貰うだけで目から涙を流すんだからね」
「俺はあんたに感謝してます、ドクター」
「もう、眠った方がいいよ、私はずっと付いててやるから」
「ドクター、本当に女の子宮がいらなくなる日が来るんですか?」
「もうそこまで来てるよ」
「痛快だなあ、女はびっくりするでしょうね、ドクター」
 というわけで、村上龍が若かりし頃に書いたというSF小説だ。コミカルでポップだとは感じる。それでいて村上龍らしいメッセージ性も兼ね備えていて、それなりに読ませてしまう。だからこそファンを悲しくさせてしまった小説だった。つまらないからだ。村上龍のつまらない小説に対して言えるが、感性の豊かさを超えようと知性が無理に前面に押し出てくるからギクシャクして退屈になってしまう。

 それでも精神の極限状態を描いた『五分後の世界』などはまだ良かった。無駄なことを考えないということによって、ボロが出てきていないからだ。しかし、本作のように安定的な精神状態の中で繰り広げられる劇では、ボロが出すぎている。人は誰でも自分の中の道徳規範を用いてファッショに物事を考える。具体的にはみだりな性などを嫌う道徳規範に対してはそんな道徳誰が決めたんだと反発するが、一方で女の子を殴ったりすることは卑怯で絶対にやっちゃいけないなんて恥ずかしげも無く言うことが出来てしまう。エゴをむき出しにするというのが村上龍らしいのではあるが、自身の持つ道徳の滑稽さというものに対してあまりにも無自覚に創られていて、本作のキャラクターはどれも軽く、また作品全体も軽く感じられた。

 Tリングをつけ、興奮を抑えることによって心の平安を保つ人間を異様な人間として描き、管理してくれる人間がいなくなると次々と死んでしまうという残酷な結末をTリングの人間に対して村上龍は神として与えるが、その一方で、愛する者の最後でも死骸は醜いという感情をストレートに表現をし、死骸の処理を事務的にこなせてしまう「まともな人間」として描かれたミミミはあまりにも虚無な存在として僕には感じられたのが皮肉的ではあった。

 ところで本作は、映画の原作として書かれ、そして本作と同時に村上龍自身が監督をした同名の映画が制作されたらしいが、恐らく、というか絶対につまらないのであろう。
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