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【本】 『長崎オランダ村』 (村上龍)

長崎オランダ村 長崎オランダ村
村上 龍 (1995/08)
講談社
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「プイグの話を聞いたことがあるんだ、プイグは、わたしは大海の孤島のような、パンパ、つまり大草だね、の中の小さな町で生まれて、育った、と。静かに語り始めた、アルゼンチンはペロン以前も以後もひどい状態だ、プイグは孤島のような街で、ハリウッドの映画を観て、映画はB級の恋愛ものや西部劇が多かったらしいんだけど、アルゼンチンからの脱出を夢見るんだ、成長した彼はまずローマへ脱出する、ローマで助監督として映画の仕事に就くんだが、当時はネオリアリズム全盛で、ロマンティックなロマンスものが好きなプイグは疲れ果ててしまうんだ、次にアメリカに渡るんだが、そこでもハリウッドの力は明らかに衰えていて、再び絶望し、今度はメキシコへと移る、メキシコで、要するに自分を受け入れてくれるところはどこにもないのだと悟った時、生まれ育ったパンパの中の孤島のような街の、自分の家の中庭が浮かんできたそうだ、中庭には噴水と洗濯用の洗い場があって、いつもそこでは彼の母親とその妹達がおしゃべりしていた、そのおしゃべりが、噴水の音の背後からふいに蘇って、プイグはそれを書きとめていった、それがマニュエル・プイグという小説家の誕生だった、オレはその話を聞いて実際に涙がにじんだよ、オレもそれに近い形で書き始めたからだ、確かに音楽は違うよ、楽器をプレイすることは楽しいし、誰かにダイレクトに聞かせることができて、他の人間と共に表現できるからね、でも、その表現が何かを突き破るようにして出てくるという意味では同じじゃないか、これしかなかったんだという切実さが人に伝わるわけだろ、メッセージなんかじゃない、メッセージはメッセンジャーにチップをやって運ばせても伝わるんだよ、パンクに何か感じてパンクをやるのもいいかも知れない、でもそういう奴はこんなふやけた町なんか捨てるだろう、こんなところはイヤだ、ここは嘘だ、嘘だ、嘘だっていうのがパンクじゃないのかよ、もっとシビアな場所に行きたいって思わなきゃだめなんじゃないかね、どんな事情があっても行くべきだ、オレはフォルクローレは大嫌いだが、好きになった人ならボリビアやペルーへ行くべきだ、本当に感動した人は、それしかないという切実さで表現されるジャンルに参加したいなんて思わない、なぜか? 自分でもできるかも知れないと思うことに、ガキでもない限りオレ達は感動したりしないからだ」
 村上龍が故郷長崎にあったオランダ村を題材にしたコマーシャル小説。あった、というのは、本書が出たときは、確かに長崎オランダ村はあったんだろうが、今はもうないからだ。

 オランダ村は効率が無視された世界で非常に丁寧にそして本物に忠実に再現されたらしいが、丁寧であるというところはともかく、本物に忠実に再現されたという事実に対して村上龍が宣伝的とはいえ、評価が甘いことに驚いた。文化というのはその歴史的背景が必ずあるわけで、村上龍だって本書ではそれを踏まえた上で色々言っているが、そうであるなら、どんなに本物に忠実に再現したところで日本に本物のオランダ村なんか出来るわけがない。ロックやらパンクや能や狂言を馬鹿にしているが、オランダ村もロックもパンクも日本にあるという時点で大して変わらないだろうし、横断的ではなく海外に広まりにくい上に国内でもほとんど目を向けられていないがそれでも文化という意味では能や狂言の方がまだマシではないかね、と思った。

 内容自体は面白い。『69』のナカムラが出てくるし、村上龍の考えていることがナカムラとの会話のやりとりでユーモアを交えながらわかりやすく読者に伝わってくる。本書の内容を踏まえた上で村上龍の他の著作を読めば著者の言わんとしていることがだいぶわかりやすくなるだろう。
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