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【本】 『燃えよ剣』 (司馬遼太郎)

燃えよ剣 (上巻) 燃えよ剣 (上巻)
司馬 遼太郎 (1972/05)
新潮社
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 幕末の動乱期に生きた新選組副長・土方歳三の生涯をドラマチックに描いてある。この本の中での土方歳三は士道という信念と共に邁進している。自分の信念を貫くために時勢に抗い、新選組の強化に全てを注いだ男の生き様はとても魅力的だ。

 新選組という組織に対して著者である司馬遼太郎氏は土方歳三を使って次のように書いている。
「罪あるは斬る。怯懦なるは斬る。隊法を紊すは斬る。隊の名をけがす者は斬る。これ以外に、新選組を富岳(富士山)の重きにおく法はない」
「歳、きくが」
 近藤は、冗談めかしく首をすくめた。
「おれがもしその四つに触れたとしたら、やはり斬るかね」
「斬る」
「斬るか、歳」
「しかしそのときは私の、土方歳三の生涯もおわる。あんたの死体のそばで腹を切って死ぬ。総司(沖田)も死ぬだろう。天然理心流も新選組も、そのときが最後になる。−−近藤さん」
「なにかね」
「あんたは、総帥だ。生身の人間だとおもってもらってはこまる。奢らず、乱れず、天下の武士の鑑であってもらいたい」
「総司、いっておくが、おれは副長だよ。思い出してみるがいい、結党以来、隊を緊張強化させるいやな命令、処置は、すべておれの口から出ている。近藤の口から出されたことが、一度だってあるか。将領である近藤をいつも神仏のような座においてきた。総司、おれは隊長じゃねえ、副長だ。副長が、すべての憎しみをかぶる。いつも隊長をいい子にしておく。新選組なんてものはね、本来、烏合の衆だ。ちょっと弛めれば、いつでもばらばらになるようにできているんだ。どういうときがばらばらになるときだか、知っているかね」
「さあ」
「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌とりをはじめるときさ。副長が、山南や伊東(甲子太郎)みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口から出る。自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。近藤は隊士の信をうしなう。隊はばらばらさ」
「近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。そのなかで、万世に易らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新選組はこのさい、節義の集団ということにしたい。たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背をそむけようと弓をひこうと、新選組は裏切らぬ。最後の一人になっても、裏切らぬ」
 自らの信念をかけ新選組という組織の強化のために挺身した土方歳三の純粋さとそこから醸される男らしさに自然に惹きつけられてしまう。この小説の土方歳三は「物語」の主人公にされているのだろうが、信念を持っているのは現代人にあっても同じはずだ。信念に基づいて生きている。そして生きていることこそが最上の価値だとされる中で信念・誇りが穢されることを死ぬことよりも辛いと考える人間がこの世界に存在する。この小説における土方歳三の士道を「士道」とするならば、海外の国の人間の方が案外士道に生きているのかもしれない。またこの小説は女性にも大変人気があるようだ。小説の最後、土方が馬に乗って単身斬り込み、射撃隊によって命を奪われる。最後の最後まで降伏をせず、自分の信念を貫く男の姿勢であったほうが女には惚れてもらえるのかな。
 これもかなり前に読んだことがあります。

 土方は、実際すごくもてたみたいで遊郭に行くと、土方の一人勝ちだったようです。写真を見てもカッコイイもんね。

 この「燃えよ剣」の中でしたっけ。沖田の最期が書かれていたのは。
 結核で自宅療養していた沖田は、家にいたずらにくる野良猫を切ろうとして切れなかった。喀血してそのまま絶命。

 その部分がすごく印象に残っています。(ひょっとしたら別の本かもしれない)
2006/07/19(水) 10:27:48 | URL | kei #-[ 編集]
>>keiさん
沖田のそういうシーンあります。土方も沖田も格好いいですよねえ。僕の場合、この『燃えよ剣』を皮切りに司馬遼太郎作品を読み始めました。男の一生というものは美しさを作るためのものだ。とはまさにその通りだなんて思いながら、心身を熱くさせていただいた作品です。
2006/07/20(木) 22:46:12 | URL | コウイチ #-[ 編集]
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