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【映画】 『ALWAYS 三丁目の夕日』

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 ALWAYS 三丁目の夕日 通常版
吉岡秀隆 (2006/06/09)
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携帯もパソコンもTVもなかったのにどうしてあんなに楽しかったのだろう…。
昭和33年、東京タワーが完成するこの年、東京下町の夕日町三丁目には、人情味あふれる住民たちがにぎやかに暮らしていました。そんなある日のこと、鈴木則文(堤 真一)と妻・トモエ(薬師丸ひろ子)、息子・一平が暮らす自動車修理工場・鈴木オートに、集団就職で上京した六子(堀北真希)がやってきます。ところが、立派な会社を期待していたらしい六子はどこか、がっかりした様子……。
一方、何かと則文と反発しあう駄菓子屋の店主で、しがない小説家の茶川竜之介(吉岡秀隆)。一杯飲み屋のおかみ・ヒロミ(小雪)に恋心を抱く茶川は、ひょんなことから、彼女の元に連れられてきた身寄りのない少年・淳之介の世話をすることに……。さて、六子が加わった鈴木家には何が起こるのでしょうか?さらに茶川と淳之介の奇妙な同居生活の行方は?夕日町三丁目の人々には、どんな未来が待っているのでしょうか?
(Amazon 商品解説より)
 僕は昭和56年生まれなので昭和33年という時代を肌で体験してはいない。この映画ではその時代を実際に知らない人であってもこういう「素晴らしき」時代があったのだと郷愁を誘ってくれるつくりになっている。東京下町の家と家との距離がそのまま人と人との距離になっていて、皆で助け合った時代。今よりずっと貧しく生きていくのに精一杯だったのに希望に溢れていた時代。冷蔵庫に感動し、テレビに近所の人が集まる。駄菓子屋があって空き地がある。そんな「時代」が描かれている。一つ一つのエピソードが小気味よく展開され、上手にまとめられている。

 貧しくったって幸せだった……映画のメッセージだ。しかし、母親に捨てられたらい回しにされる子、親の借金のために身を売る女性。映画の中で貧しさが夕日の下に影を落とす場面もある。集団就職だって映画の中の六子は理想と現実のギャップに悩むものの結果として温かい会社(家庭)に迎えられているが、現実の世界ではやはり厳しいものだったようだ。東奥日報にこんな記事がある。
2004年4月5日(月)
 一般家庭にテレビはない。大人でも東京に滅多(めった)に行けない。そんな時代の一九五四年四月五日、十五歳か十八歳で親元を離れ、見ず知らずの大都会で働く少年少女を乗せた全国初の集団就職列車が、青森駅を出発した。
 当時、県内の中学生の6%は学校を長期欠席していた。家が貧しく手伝うために。売春街に売られた子もいたそうだ。十年後、井沢八郎さんが歌う「あゝ上野駅」が流行したころ、中学の同級生を駅で見送った。高校進学率は50%強。中卒者の半分近くが県内外に働きに出た。「金の卵」ともてはやされて。
 集団就職列車の発車から半世紀を記念する音楽会が東京であった。主催した「地球の鼓動(おと)」の望月登喜子代表の言葉が鋭い。「金の卵は、低賃金でまじめに働く労働力の代名詞だった。だから当時を思い出したくない人もいる」。
 今はどうか。企業は競争に勝ち抜くため、利益が出ても人を減らしていく。評論家の内橋克人さんは高度失業化社会と名付ける。経済は栄え、社会は衰退する。景気がよくなれば人も幸せになるという時代は、とっくに去った、と「<節度の経済学>の時代」で書く。
 若者の十人に一人が失業中。やっと職を見つけて懸命に働くが、雇用保険などなく賃金も安い。ハローワークに通う大勢の人は“集団求職列車”に乗っているように思える。井沢さんの歌を知らなくても「くじけちゃならない」と自分に言い聞かせながら。そんな現代版の金の卵が身近にいる。郷愁にひたるのを止(よ)した。
 映画のラストシーンで実家に戻るのを躊躇った六子が「子を思わない親なんているものですか」と説教をされる。温かいシーンだが、そもそも貧しさがなければ、とも思ってしまう。それでもこの時代を明るく振り向く映画が出てくるのは多くの人にとって幸せだったということなのだろう。貧しさを跳ね除けるだけの人の強さがあったのか。絆があったのか。単に社会の強制力が強かっただけなのか。ただただ家庭の幸福が欲しかった身としては、心のどこかが引き寄せられてしまう映画ではあった。
こんにちわ。
いつの世も光と陰はあるものです。今の世も、4・50年たてばきっと「あの頃は良かった」となってますって。コウイチさん見届けてください。
「あの頃は良かった」とか、何でもかんでも政治のせいにしたりとか、なるべくそういう社会への責任転嫁することなく、真面目に生きていこうと思っとります。
ところで、私はまだ「三丁目の夕日」見ていませんが、居酒屋の女将の小雪さん、あんなファッションモデルのような人は場違いだと私は思っていたのですが、先日、渡辺淳一さんが「昭和30年代の日本人はもっとずんぐりしていてあのように手足の長いスラリとした女はいなかった。」とエッセイに書いていて、同感でした。
せっかくの映画が配役で興ざめすることもあるのに、そういう感性に欠ける映画人、どうなんでしょう。
2006/07/20(木) 14:28:58 | URL | robita #-[ 編集]
>>robitaさん
この映画は「ノスタルジーを感じさせる」のが主題になっているので、そのためにあらゆるところが美化されてるのかもしれないですね。何年か前に給食のメニューを提供する飲食店が客の「懐かしい」という感覚をくすぐって話題になったことがありますが、あれも美化された思い出を壊さないように実際は昔の給食よりもずっと質をあげて出していたそうです。
僕なんかも不便な環境でしょうがなかったはずの昔のインターネットの方が懐かしいなんて思うことがあるので、あまり他人様のことは言えないのですが……、ただ、三丁目の夕日の時代に生きていた人間が懐かしがるのはともかく、僕らの世代を含めた三丁目の夕日の時代を知らない人間までもがその時代に振り向いてしまうというのは寂しいなあと感じます。
僕の場合は、それでもまだ駄菓子屋(というか酒屋)があって空き地があっての環境で育ってきたので、それが全部潰れた今と子どもの頃との環境の違いを重ね合わせながら楽しんだところがありますが、他の人はどうなのでしょうね。
2006/07/21(金) 00:41:13 | URL | コウイチ #-[ 編集]
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