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【アニメ】 『機動戦艦ナデシコ』

機動戦艦ナデシコ Vol.1 機動戦艦ナデシコ Vol.1
後藤圭二 (2006/11/22)
キングレコード
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 中二病アニメとして評判の機動戦艦ナデシコを観た。
木星蜥蜴(もくせいとかげ)と呼ばれる謎の兵器群は、圧倒的な戦闘力で火星、月の裏側を次々に制圧。今や、地球各地にもチューリップと呼ばれる母艦を多数降下させるに至っていた。そんな時、民間企業ネルガル重工は実験戦艦 ND-001 ナデシコの艤装を終了していた。

ナデシコは技術的優位に立つ木星蜥蜴に唯一対抗出来る兵器、ディストーションフィールドとグラビティブラストを装備していた。そして、各地から任命された乗組員達は「能力が一流なら性格は問わない」ということで一癖も二癖もある人物ばかりが揃えられた。

火星生まれの青年テンカワ・アキトは、偶然再会した幼なじみミスマル・ユリカを追って出港直前のナデシコに乗り込む。 コックとしてナデシコのクルーに採用されるが、偶然が重なり艦載の機動兵器「エステバリス」のパイロットとして戦うことになっていく。
Wikipediaより
 あらすじはまあこんなもんで合ってるけど、Wikipediaのは未視聴の人間に配慮して書かれているのでそれにネタバレで付け加えさせていただくと、敵役の木星蜥蜴というのが昔に地球から追放された人間達の末裔で、敵をエイリアンだと思っていたアキト達が同じ人間を相手にしていたということで自分の正義に迷い動揺するところ、本作にテーマを見出すとしたら、そこが見どころになっている。

 オタク向けラブコメSFで主人公アキトを始めとした人間のナイーブさを含めてあらゆるシーンが思春期的であるのと同心円状にやはりアキトの正義に対する葛藤が存在している。それが制作者側の意図で、そのためにあえて劇中劇である「ゲキガンガー」というマジンガーZなんかの昔の正義と悪、人間と怪人の二元対立を描いたロボットアニメとそれにハマる男達の描写が伏線として存在している。ゲキガンガー的正義・悪二元対立からアキトは卒業するが、立場による正義という大人の論理にも踏み込むことができずに、最後には恋愛に行き着く姿はやはり思春期的であり、もしかしたら現代的といえるのかもしれない。というか、「自分らしく」「わたしらしく」があからさまなメッセージとして作中に存在しているんだけど、それが恋愛なのかよー(もっとも、オンリーワンになるためには漫画的キャラクターチックなナンバーワンの能力がないと無理だと暗示しているのだけど)。

 テーマなり哲学なり全体としてはどうしようもないアニメだなーと思うのだけど、そう簡単に斬って捨てられない程度には、1エピソード毎のクオリティは高い。オタク的ラブコメ的ツボを押さえたユーモア溢れるシナリオタッチは個人的にはかなり楽しめたし、キャラクターも魅力的な存在が多いのだ。

 テレビ放映していた時期を調べると、1996年10月1日から1997年3月25日までというから僕が高校1年の頃だ、と白々しく言ってみるが、実はリアルタイムで全話視聴したし、続編である劇場作品も観た。当時の僕の周りでもそうだったが、割とオタク系の人には人気があった作品のようだ。

 余談だけど、こういう思春期系ナイーブ少年の話ってほとんどそうなんだけど、あれもいやだこれもいやだで妥協しようっていう風にならない。右とか左じゃなくて妥協しないっていう姿勢が既に自分達の正義になっちゃってるのにそれを本人達が気づいていないから嫌い。ナデシコが放送されていた頃、ゲーム史的にはセガ・サターンソフトの『サクラ大戦』がかなりヒットしていたと思う。そのサクラ大戦のテーマ曲である檄!帝国華撃団の歌詞に「悪を蹴散らして正義を示すのだ」っていうフレーズがあるのだけど、ま、どういう形であれ正義ってそういうものでしょ。妥協しないっていうのが正義みたいなもんなんだから。オタクがナデシコを観てルリルリ萌え〜っていってるのならまだいいけど、現実が妥協の連続の産物でつまらないと思いながらナデシコを観てアキトと自分を重ねつつ正義と悪の単純な紋切りを批判してカタルシスを得ていたならちょっと気分が悪い。それならサクラ大戦の単純な正義・悪で、大神一郎の「俺が正義だ」のシャウトに自分の熱いパトスを載せる方が健全じゃないのと思う。
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