【本】 『教養の法学』 (平田秀光・山内義廣)
![]() | 教養の法学 平田 秀光、山内 義広 他 (1997/05/10) 八千代出版 この商品の詳細を見る |
日本国憲法は、三つの基本原理を採用しているが、そのなかでもっとも基本的な地位を占めているのが平和主義である。憲法9条は、この平和主義をさらに具体的に示したものである。この規定は、第一に戦争の放棄、第二に戦力の不保持、第三に交戦権の否認の三つの部分から構成されている。古本屋で購入した。一般的教養としての法学を体系的に学ぶことのできる書である。大学の一般教養科目か何かのテキストとして使われていたらしく書き込みがかなりあったが、以前に取り上げた『法の世界へ』と比べると、向こうが学生・読者に擦り寄っている内容で親しみやすさと分かりやすさに徹底しているのに対して、こちらは本格的というか、如何にも法を扱っている書という感じで、堅苦しく専門的になっていて格式高い。読むのに疲れた。この程度が大学レベルにおける法学入門の典型なのだとしたら、初学者には入門の更に入門の本から始めた方がいいと勧めるのが親切というものではないだろうか。
日本国憲法は、前文において、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」したと規定している。この目的のために、憲法9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調ととする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定している。ここで問題になるのは、「国際紛争を解決する手段としては」という文言があることである。ある見解は、憲法9条1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争、つまり侵略戦争だけを放棄しているのであって、自衛戦争や制裁戦争まで放棄したのではないと解釈している。他の見解は、憲法9条1項は自衛戦争も含めていっさいの戦争を放棄していると解釈している。
実際問題として、侵略戦争と自衛戦争を区別することは困難であるばかりではなくて、戦争は、たいてい自衛または制裁の名で開始され、戦争当事国のいずれもが自衛と制裁を主張するのは、歴史の教えるところである。また、日本国憲法には、戦争を予想した規定がどこにもないことに注目しなければならない。憲法が、自衛戦争であれ、制裁戦争であれ、戦争を容認しているならば、宣戦、講和、軍隊の指揮に関する何らかの規定をおくはずだからである。したがって、日本国憲法は自衛戦争や制裁戦争を含めていっさいの戦争を放棄していると解釈すべきである。
また、日本国憲法は、9条1項で戦争の放棄を定め、2項で「陸海空その他の戦力」をもたないと規定している。この規定で問題となるのは「前項の目的を達するため」という文言である。ある見解によれば、国際紛争を解決する手段としては戦争を放棄するということ、すなわり侵略戦争を放棄するという目的を達成するためであると解釈している。したがって、侵略戦争のために軍備をもつことは許されないが、自衛戦争または制裁戦争のために軍備をもつことは許されることになる。
しかしながら、「前項の目的」とは、「正義と秩序を基調とする国際平和」の希求と解釈すべきであり、第2項は、国際平和の希求という目的のために軍備をもたないとしたというべきである。軍備そのものは、自衛戦争にも侵略戦争にも利用できるものであるので、侵略戦争のためには軍備保持できないが自衛戦争のためには軍備を保持できるとして軍備を保有するならば、自衛戦争の名で侵略戦争が起こる可能性を否定しきれない。それに対して、軍備をまったく保有していなければ、戦争しようにもできなくなるからである。
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