【本】 『私家版 日本語文法』 (井上ひさし)
![]() | 私家版 日本語文法 井上 ひさし (1984/09) 新潮社 この商品の詳細を見る |
わたしは形容詞がすくなかったのは「互ひに心持がよくわかつて居た」からではなくて、たがいに腹の底が知れないからこそではなかったか、という疑いに突き当ったのだが、そういう疑問を抱いてはまちがいだろうか。これもまた暴論の謗りをまぬがれないが、たとえば枕詞はその一例証ではないのか。塩舟はいつも帆をならべてくるとはかぎらないのに<しほぶねの>は常に<並べ>を修飾し、形容する。滝の瀬にも淀んだところがあるにちがいないのに<たきつせの>は必ず<早し>にかかる。飛び行く鳥は毎度仲間におくれまいとして争っているわけでもないのに<ゆくとりの>とくれば<争ふ>と繋がる。ある事物を修飾し形容する言い方が常に同一でなくてはならない、このような約束ごとが重んじられ、しかもその数が八百五十にも及ぶというのは、人びとの心持がぴたりと合っていたからではなくて、互いに相手の腹の底がわからず、それでは不安でたまらないので、そういう約束を決め、このときはこう、あのときはああとおもいこむようにしたのではないか。そしてこういう下地ができあがれば、もう形容詞はさほど多くなくてもことは済む--。事情は今でも同じで、大事件が出来すれば、まずあちこちでおずおずとものを言い、互いの胸のうちが読めたところで、わーっと同じことを叫び立てるわたしたちに、このやり方はそっくり受け継がれているもののようである。その場合、枕詞は<あかねさす--朝日>だったり、<しじくしろ--黄泉うり>だったり、<ころもでの--まいにち>だったり、<たかひかる--ブラウン管>だったり、いろいろであるが、さあれ事情がそうならば、文法書で一夜漬けしてなにかよろしき形容詞をときょろきょろしてもはじまらないかもしれない。井上ひさしによる日本語文法にまつわるエッセイ。学校で習う日本語文法を堅苦しくて分かりづらいと我々の気持ちを察し、代弁してくれており、本書では身近な例(といっても1980年代の本ではある)を用いて日本語文法についてわかりやすく説明してくれている。「枕ことば」や「ガとハ」、「漢字」、「敬語」。井上ひさし氏の深い学術知識による歴史を踏まえた説明と斬新な視点による解釈は日本語を母国語にしている日本語文法素人の一人の日本人読者として目から鱗が落ちる思いで読めた。
日本語をもっとよく学ぼう。日本語を見直そう。日本語が乱れている(どうでもいいことだが、本書を読むとやはり20年前から同じ事が言われているようだ)。などなどと、喧伝される昨今(というのも恐らく昔から同じ事が言われていたのだろう)であるからこそ、本書を強く薦めたい。手軽に読めて日本語に対する理解は大きく深まること請け合いである。
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