【本】 『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』 (山下悦子)
![]() | 女を幸せにしない「男女共同参画社会」 山下 悦子 (2006/07) 洋泉社 この商品の詳細を見る |
いったい誰のための男女共同参画社会なのか?フェミニスト(上野千鶴子・大沢真理)達は男女共同参画社会、そしてジェンダー・フリーが進めば少子化対策になるといったお題目を掲げてきたにも関わらず、現実の男女共同参画社会・ジェンダーフリーが少子化対策にはなっておらず労働力確保を第一義にされてしまっている。一方でアンチ・フェミも男女共同参画に対する莫大な予算を誤解していて、ほとんどが高齢社会に対する福祉に使われていて現役世代に分配されていない事実を知らずに誤解に基づいたまま糾弾していることが本書では指摘されている。
セイフティーネットとして機能してきた主婦は本当に無用の長物か?
子どもを不要とする社会的風潮はなぜ作り上げられたのか?
少子化対策がなぜ子どもを増やすことでなく労働力確保に擦り替えられたのか?
誤読から始まった「ジェンダー・フリー」が男女共同参画の名の下に君臨してしまっている今日、問題は山積している。
本来、男女共同参画社会とは女性が安心して子どもを産み育てながら仕事を行える社会、男性も仕事だけでなく、家庭生活において家事・育児も行う社会ではなかったのか。
少子化をさらに促進させ、「女・女格差」を広げ、「一億総働きバチ社会」をつくる行政主導のフェミニズムに基づく「男女共同参画社会」の矛盾点をいま明らかにする。
少子化が問題視されていて少子化解決のために男女共同参画社会があったはずなのに実際は子どもを産んで育てる現役世代の労働環境と育児環境に対する社会保障が他の先進国(特に欧州)に比べて日本は手薄なのである。そもそもシングル(独身)生活を称賛しているフェミニスト達が少子化対策というお題目を掲げて男女共同参画に関わったところで、彼女達は実際には「産む」という役割を担わされるのを憎悪・拒絶しているという矛盾を抱えているわけで、殊に柳沢大臣の発言に強烈な反発をしてみせたようにハナから少子化という現状などまったく憂えておらず、彼女達が「少子化」という問題に対して発言するとき、それは女性解放というイデオロギー的なものと結びついているのは明らかなのである。
また、本書では小泉・竹中による弱肉強食の経済政策とフェミニズムの思想によりフツーの女性のフツーの幸せ(主婦という選択肢)が壊れてしまったと指摘している。専業主婦が担ってきた地域社会の維持・家事・育児・介護を軽んじてしまっている社会風潮と、共働きになっても変わらない男性の家事・育児・介護に対する消極的な姿勢に警鐘を鳴らしている。
本書は全5章と巻末のブックガイドで構成されている。第1章<「女・女格差」を広げる男女共同参画社会>は問題点に対してもっともな指摘を記述することに成功していて意義深いと感じた。しかしながら、2章以降は通俗的で著者自身の体験と私見のみが徒然と書かれているに過ぎなく稿を進めるごとに読む価値がなくなっていくのが残念だった。特に皇太子妃と秋篠宮妃とを男女平等主義と保守血統主義との対立に重ねたり冬のソナタのヨン様や韓国ドラマの魅力に語られても読んでいるほうとしては困ってしまう。巻末のブックガイド(巻末といっても40ページ近く費やしている)も蛇足と感じた。
ところで、今まで反フェミはジェンダーフリー的なものをフェミニズム=女性解放=左翼的なものと結びつけてバッシングをしてきたわけだが、ここにきて、メンズリブ、男性差別撤廃・男性解放論者というものが(ネットでは)存在感を出し始めているように体感的に思う。いくつかの男性差別撤廃論者の主張を調べると彼らの主張は非常にフェミニズムの類の似ているのではあるが、一方でフェミニズムを嫌っていて男女対立を煽る傾向にある(まあフェミ系でもこの手の男性差別撤廃論者だのとそれと親和的ぽい非モテ系だのに割と非難的な姿勢なところがあるけど)。彼らは専業主婦を男性差別と主張し専業主婦はニートという言説を援用して非難するが、専業主夫については非難どころかむしろ好意的ですらある。更には、彼らは自分達(男性)の収入が高いのは男性は家族を扶養しなければならない・結婚して妻を扶養しなければならないというジェンダー意識による責任感がなした(素晴らしい)ものであり、女性の収入が低いのは女性自身に責任感が欠如しているからであると主張するが、では結婚し女性を扶養するのは義務的なものであり、独身男性はけしからん社会にするかといえばそうではないそれは(男)性差別であると反発するであろう。人間は利己的な生き物ものであるから都合の良いメリット部分だけを強調し、対になっているデメリット的な部分を否定するのも当然であるとはいえ、そのミー・イズムの主張を正義的にしかも女性非難として使ってしまうところにフェミニズム的ダブルスタンダード(例えば少子化対策のための男女共同参画には賛成しておきながらいざ出産機能に言及されると差別と抜かすよう)な違和感があるのだ。彼らの存在が男女平等とやらに寄与するかどうかはわからないが、これからの反フェミは議論の上で今までのようにフェミニズム的な存在=主に女性、だけに対抗するのではもはや通用せず、メンズリブ的な存在=主に男性も補完しなければならない、という点では男女平等になっていくのかもしれない。
フェミは馬鹿だなあ、女は馬鹿だなあと思ってたあなた、なんと馬鹿なのは女だけではなかったのです。て当然だけど。
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