【映画】 『ロッキー・ザ・ファイナル』
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朝、家を出るとジムが話しかけてきた。ジムというのは本当の名前はジロウというのだがそれではナウくないというので僕らの間ではジムと呼ばれていたのだ。
「ヘイ、コウイチ。どこへ行くんだ?」
「ちょっと千葉駅までデモをしにね。今日はメーデーなんだ」
「やめとけよ。秘密警察に捕まったら酷い目にあうぜ。トミーのことを忘れたのか? あいつもう廃人だよ」
トミーというのは本当の苗字はトミタというだがそれではナウくないというので僕らの間ではトミーと呼ばれていたのだ。トミーは革命的竹中平蔵暗殺計画の中枢にいた。しかし、計画は政府側に漏れ、トミーは電車に乗っているところを痴漢に仕立て上げられてしまった。トミーのいた組織はフェミニズムに親和的で性犯罪に厳しかったから組織の人間はトミーを信用しなくなった。やがてトミーは組織から追放される。組織から追放されたトミーを受け入れてくれるところはなかった。トミーは社会的に抹殺されてしまったのである。以来、トミーは生きる意欲を失い、酒に溺れる日々を送っている。
千葉駅に着いたのは8時だった。戦の前の腹ごしらえ、と僕はマックに入った。朝マックである。マクドナルドほど労働者と自然と平和から搾取をしている企業はないであろう。我々の敵である。明確な敵である。しかし、私は本日マクドナルドに入った。何故か? 答えというのものは常に簡単で明確である。マックグリドルを食べてみたかったからである。マックグリドルというのはホットケーキのような甘いパンにソーセージやエッグがハンバーガーのように挟んである。これが非常に衝撃的で資本主義的でアメリカ的な甘美な味わいで、食べていると昨日テレビで観たメジャーリーグのボストン・レッドソックスの試合で岡島秀樹が登板した時にスタジアムにかかった岡島の登場曲、映画ロッキーのGoing The Distanceだが、それと岡島のナイスピッチングが思い浮かんできて僕は気づいたら目に涙を浮かべていた。
10時。僕は京成ウエスト、つまり千葉中央にある映画館だが、そこにいた。すまない同志よ。僕は今日が1日の映画の日で1000円で映画を観られることを思い出し、誘惑に負け、『ロッキー・ザ・ファイナル』を観てしまったのだった。
というわけで、ロッキー・ザ・ファイナルの感想を書く。
ロッキーシリーズも本作で6作目。原題ではRocky Balboaであるが、邦題ではファイナルと銘打たれた。齢50を超えたロッキーはイタリアンレストランを経営しており経済的には恵まれていたが、最愛の妻であったエイドリアンが亡くなってからは過去の思い出に浸りながら日々を過ごしていた。常に偉大なロッキーの息子としてしか見てもらえないことに押しつぶされてしまった息子も逃げるようにロッキーの元から去っていた。思い出の中にしか仲間がいない孤独なロッキーであったが、彼に新たな出会いが待っていた。出会いを経て再び戦うことを決意する彼に世界チャンピオンとのエキシビジョンマッチの話が舞い込む……。
まず、年老いたロッキーとポーリーが何とも痛々しかった。僕なんかロッキーシリーズ観たのは本当にここ1週間とか2週間だから、ついこないだまで観ていた精悍なロッキーに比べてしまって、こんなに年を取ってしまって、と嘆かわしくなったが、話自体はロッキーらしい熱い展開で「心の老い」は感じさせなかった。エイドリアンを死んだという設定にした上であえて第一作ロッキーを徹底的に意識して作られており、過去のロッキーシリーズと映像的に重ねつつ原点回帰をしながら、本作ならではの斬新さも兼ね備えている。
残念だったのは、試合シーンの演出である。今までのロッキーは引いたところからリング上全体を映すことで無骨な格闘ボクシングシーンを演出できていたのに、本作ではアップが多用されており、また、映像効果を多用することによって作り物のアクションシーン的な安っぽさを演出してしまったように思う。
とはいえ、作品としてはロッキーシリーズのファンには十分オススメできるものである。老いても挑戦することをやめずに瑞々しく躍動するロッキーの姿に、団塊の世代の大量退職・第二の人生といった言葉が躍る現在の我が国において励まされる人も少なくないであろう。ロッキーシリーズらしい観ていてワクワクした作品であった。
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