【本】 『アメリカン★ドリーム』 (村上龍)
![]() | アメリカン・ドリーム 村上 竜 (1985/10) 講談社 この商品の詳細を見る |
佐世保でのGIとの出会いからエンタープライズ闘争、基地の町福生での生活と、絶えずアメリカと対峙してきた著者が、アメリカとは何か、そしてそれと分ちがたく結びついている日本文化とは何かを鋭く問いかける。「アメリカが世界だ」と言い切る著者が“父なるアメリカ”への思いを熱く綴ったエッセイ集。自分の撮影した映画が失敗したのは日本社会のせいだ、と無茶苦茶な責任転嫁をしつつ、やっぱり監督の自分の責任と認めているハチャメチャさが本書の全てを表しているが、目の前で自国の女がアメリカの兵士に飼われているところを目撃して育った村上龍の原体験から来ているアメリカへの想いは読み甲斐があった。
村上龍に云わせれば、アメリカは神なのである。神は身近にいるが見えない存在だ。よってアメリカという存在も見えない。当然にアメリカは強いから偉いのだが、ポップなのだと著者は云う。つまり大衆に圧倒的に支持されるから偉い。アメリカのポップが言語や経済や宗教を超えて通用する全人類共通の快楽のコードを有しているからこそ世界に浸透している。「意味」を有さずに大衆を熱狂に導くアメリカポップは快楽主義者の村上龍にとってはさぞかし魅力的だったのだろう。一方で村上龍はこうも書いている。
坂本龍一風に、私の図式を検討すれば次のようになる。そういうポップ猿・アメリカ奴隷を村上龍は本書で非国民と呼んでいるわけだが(すげえな)、非国民にならずナショナリストにならず、アメリカに侵略されずにメリットを取る(村上龍曰く侵略されて女をとられてしまうことはとてつもなく悔しいことだ)には、日本も世界に通用する快楽のコードを出せ、快楽の最前線に立ってポップを輸出する側になれ、車を売った金でコーラを飲みながらスターウォーズを観るな、もしくは日本の土壌にあった自然なスタイルで非合理的に農耕をやるのも楽しそうだ、でもそれらは絶望的だということに大雑把な結論としてなっている。
《耳は制度化されやすい。ある種の強制力が働けば、最初は不快に感じていた音も、「快」として感じられる。強制力、これは問題だ。日本は戦争に負け、強者のアメリカがやって来た。日本経済全体がアメリカに頼った。マーシャルプランである。その、時代の方向性が、五歳の幼児であった私に、影響を及ぼしたのである。プレスリーを明るいと感ずるコードが幼児の私の中にあったことになる》
この指摘には参った。こういう指摘に対し、「それがどうした?」と唇をとがらせることはイージーだ。バカなDJがよくやるが、「えー、理由はないんですね、いいものはいいんですねえ、よく評論家の人がああだこうだと言いますが、理屈なんかありませんねえ、理屈抜き、シビれる、ガンとくる、これだけでいいんですねえ、ハイ」、これからこういう手合いを、アメリカ奴隷とかポップ猿と呼んで、軽蔑しよう、私もポップ猿の頃があったし、今でもその傾向は残っている。なぜポップ猿がみじめかというと、その方向では、アメリカに負けるからだ。フィリピンみたいになってもいいや、と、そこまで開き直ることができれば大したものだが(私はつい本気でそう思ってしまうことがある)、そういうポップ猿に限って、制度が突然変更されると、喜び勇んで日の丸小旗を振りちょうちん行列に参加するのである。
第二次大戦後、米軍は”文物”としてではなく、日本に入ってきた。それは、日本の歴史で初めての、「占領」だった。無条件降伏後の、武力による占領だ。考えてみると、それはとんでもないことだったのだ。当たり前のことになっており、教科書では「良いこと」として記述してある。ちょっとした混乱もあったが、それで日本は民主化への道を歩んだ、ということになっている。どうして日本は本土決戦をしなかったのだろうか? 本土決戦を敢行したならば日本は消滅し、日本人は絶滅しているだろうか? 徹底的に戦っていれば、日本はドイツのように分断されていたかも知れない、などという話をよく聞く。あれだな、意外とオタクに将棋の米長邦雄みたいなのが多い気がするのは、もしかしたら、アメリカポップに頼らなくても自分達が生み出したオタク文化で充分に快楽が得られているからかもしれない。でもオタク文化が全人類共通の快楽のコードとなるのは無理だと思う。ドラゴンボールとかは別だけど、ほとんどの漫画は「意味」を有しているものね。思想とか宗教とか、そうでなくても何らかのコンプレックスを抱え込んでいる。だから日本の漫画やアニメが文学的な味わいを有していて海外から評価されるんだろうけど、本書で云えばコーラやハンバーガーのような安易なものになるのは、まあ無理だろうね。ならなくてもいいだろうし。僕はオタクは嫌いだが、はじめから嫌われてナンボの世界なんだし、誇るもんでもないだろうし。
ベトナムと日本を同じところで考えられないのはよくわかる。日本はジャングルもなくてゲリラ戦を展開できないし、支援する他大国も存在しなかっただろう。連合国はさらに原爆を使用しただろう。
だが神風特別攻撃隊を始め様々な特攻兵器を考え、さらに玉砕や集団自決という極端なことをやった国としては、いかにも軟弱だと今考えるのは私だけだろうか。
たぶん、国民が嫌がったのだと思う。国民が本土決戦を嫌がったのだ。国民が同意しなければ戦争はできないし、ファシズムという政治形態もとれない。
もし、八紘一宇や大東亜共栄圏というそれ自体は説得力のある思想を本当に国民が支持していたのなら、本土決戦を敢行したはずだ。あれほど崇めていた天皇が占領軍によって処刑される可能性を含めた降伏であるにもかかわらず、日本国民は納得したのだ。怖かったのだと思う。絶滅するのが怖かったのだ。他国による侵略、略奪の体験がないため、ビビってしまったのだ。
そして、アメリカが入ってきた。日本は受け入れた。ゲリラを組織してアメリカに対抗する日本人は誰もいなかった。アメリカがチョコレートをくれたからだ。また、空襲はあっても目の前で両親を刺し殺された経験を持つ日本国民が少なかったからだ。
このことは大事だから、もう一度言おう。私は、自分の町の普通の家で(特殊な外国人居留区ではなく)占領軍(駐留軍)の兵隊と自国の女が性交するのを盗み見た初めての世代なのである。恐らく有史以来(日本国誕生以来)、初めての世代なのだ。
「アメリカ」の兵隊だった。このことは忘れてはいけない。みんな忘れている。知らん顔をしている。恥だと思っている。もう済んだことだと思っている。
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